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平成22年10月22日取材

昔の海の記憶・小仙塚貝塚


日本の各地には縄文時代に人々が暮らしていた痕跡である貝塚がたくさん発見されていますが、 鶴見高校の校内にも貝塚が存在するのをご存知でしょうか。

今から70年前に旧制鶴見中学校を建設する際、そして約40年前に新館校舎やテニスコートの 新設工事を行った際に、たくさんの貝殻や土器、さらには貝塚に葬られたとみられる人の骨も出土し、 「小仙塚(しょうせんづか)貝塚」と名付けられました。現在でもテニスコート南側の斜面から貝殻が たくさん見つかるということで早速現地に行って見てみました。斜面の地面が露出している部分には貝殻が たくさん埋もれているのが確認でき、一部を掘り出して持ち帰ってみました。

貝殻その1   貝殻その2


貝殻を持ち帰って見たところで考古学の専門家ではないので、その貝殻が本当に数千年前の 縄文時代のものかどうか正しくはわかりません。しかし、こうして貝殻がたくさん出土するということは、 かつて鶴見高校の建つ丘のすぐ近くまで海だった時代があるということは言えます。


地球はこれまで何度も寒い氷期と暖かい間氷期を繰り返してきたことがさまざまな調査・研究により 明らかになっていますが、いま現在は暖かい間氷期にあると考えられています。およそ2万年前に最後の氷期が終わって 地球が温暖化し、北欧地域や北米大陸北部に形成された氷床(雪が長期間降り積もって数百〜数千メートルもの厚い氷の 層を成したもの、現在でも南極大陸とグリーンランドは氷床に覆われている)が徐々に融け始め、その水が海へと流れ 海水面が上昇を始めました。縄文時代のもっとも暖かい時代(約6千年前)には今よりも2℃ほど気温が暖かかく、 現在より海面が4〜5メートル高かった(その状態を縄文海進と呼びます)と考えられています。
そのため現在の鶴見駅周辺の市街地をはじめ、鶴見川沿いの標高の低い平地はすべて海の中でした。したがって当時は 鶴見高校のある下末吉の丘のふもとまで海が迫っていて、縄文時代の人々はその海岸で貝を採って食糧にしていたと考えられます。


小仙塚貝塚から出土した土器や人骨、装飾品等は、東京国立博物館や国立科学博物館、 神奈川県立歴史博物館などに多数収蔵されているそうです。今後博物館の展示物で「小仙塚」の名前を見かけたら、 古くから人々の生活があり自然の恵みが豊かだった鶴陵の地で学んだことを思い出してください。 そして、現在は人為的な地球温暖化による海面上昇によって標高の低い都市部が水没する危険が心配されていますが、 もし実際にそうなった場合に起こり得る諸問題を解決するには、同様に海面が高かった縄文時代の人々の暮らしに 学べばよいヒントが得られるのかもしれません。


なお最終氷期の一つ前の温暖期(約12〜13万年前)には、6千年前の縄文海進の時代よりもさらに 海面が高く、その時代の海の状態を「下末吉海進」と呼んでいます。そしてその時期に鶴見高校の建つ丘の地形も 形成されたと考えられています。鶴見高校の住所である「下末吉」は世界的に有名な地質学用語になっているそうです。 その話題についてはまたあらためて調査を行い、このホームページでご紹介したいと考えています。

小仙塚貝塚


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